奈良の薬の歴史

私たちは、昔から健康管理に気を配ってきました。
しかし、ひとたび病にかかった時には、私たちは生活の知恵から造りだされた民間治療や薬の効力により病気回復を願いました。 
この、薬と民衆を結びつけたのは、大和売薬で知られる行商人でした。
ここ高取町を中心とする奈良県は、近世以降、大和売薬の中心として今日まで薬業の発達をみた町です。
売薬の発展に寄与した人たちや、製薬にたずさわった人たちの歴史をここに紹介します。



原料の採集と薬

大和では、薬種(薬の原料)が豊富でした。
たとえば、はら薬の原料であるオオバク(キハダ)の木の皮がたくさんとれたのはその一例です。
ジュウヤク・ゲンノショウコ・カッコンなどの類も野山に多くありました。
また、高取郡周辺では薬種栽培も盛んなのです。
大深当帰・清水当帰として知られる当帰や貝母、牡丹なども今日で熱心に作られています。

衆は昔から近くの野山にある草木類を採集して、それを煎じ(煮出し)て飲んでいましたが近世以降、売薬業が盛んになると、幾種類かの薬物を調合する合薬(あわせぐすり)を用いるようになりました。
合薬には、煎薬・散薬・丸薬・煉薬・振り出し薬などの内服薬や、膏
薬・目洗薬などの外用薬があり高取町ではそのほとんどが製造されていました。

                  [高取町歴史研修センター展示資料]より